↑リンダさんの過去記事
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『私の人生を振り返って~幼少期~』ー役割と信念が出来上がったきっかけー
(アミーガメンバー☆リンダのメッセージ2)
私はおそらく生まれつき、感受性がとても豊かで、心配性で、繊細で、内向的な性格だったのだと思います。
物心ついた時から祖母から「あなたが生まれた時女の子でがっかりした。」とよく言われていました。
それと、もうひとつ。「姉を立てなさい」という言葉。
その後、弟が産まれるのですが、私の心の中では「私はいらない子」という信念が心に住みつき、家族の中では活発で男の様な(容姿も含めて)、自分の本当の性格とは真逆な「本当の自分とは違う私」を演じる様になりました。
いつも緊張状態の家庭の中では「いつ私は捨てられるのか…」「いつ怒鳴られるのか…」とビクビク、ドキドキと恐怖状態でした。しかしその真逆での私の生活が、この家庭で生き延びる為の術でした。生き延びる為に身につけてきた防衛法です。
保育園では先生から「いつもお友達とケンカをしている」と言われ(私は覚えていませんが)、小学校1年生の時には精神的な限界だったのか、高熱を出し、熱性けいれんから、肺炎、腎臓機能低下で入院する事になります。(その翌年は盲腸で入院。)
その入院で初めてお母さんを’ひとりじめ’出来た私はとてもうれしかったのだろうと思います。「お母さんがずっと側にいてくれる」ととても安心したのでしょう。
退院後すぐ私の登校拒否が始まりました。
近所の人が表に出てくる程大きな声で泣き叫び、小さな体で全力で「行きたくない」と抵抗しました。
その理由は当時から最近までわかりませんでした。でも今は「お母さんと離れたくない。一緒にいたい。」という、当時の私の全身から出る心の叫びだったのだと理解しています。
家族の中での一助けてくれると思っていた「存在」は「父」でした。
しかしその登校拒否の幕引きをしたのも、また「父」でした。
ある夜、「このまま学校に行かないなら神社の木にしばりつけるぞ!!!」と父に怒鳴られました。その瞬間の事は今でも鮮明に覚えています。
心が凍りつく。体が固まり、血の毛が引く様な、恐怖そのものでした。
確かにその時私の心のシャッターがガラガラと音を立て閉まるのを覚えています。
「言う事を聞かないと捨てられる…」
幼い私には最終警告の様に感じました。
その日を境に私は登校拒否をやめました。
それからは、楽しい、明るい活発な子どもを増々演じていくようになったと思います。
勿論、自分の感情なんて、感じない・見ない、事になります。
これが私が幼少期に身につけた生き延びる為の術です。こうしないと自分は「捨てられる「いらない子」という恐怖で生きていけなかったのです。
今の私がその幼少期の私を思うと「なんて健気な子なの?」と、一目散にその子の所に走っていって、沢山たくさん一緒に泣き、いっぱいいっぱい抱きしめてあげます。そうしてあげたいと思いました。
アミーガで、クラウディア・ブラックの読み合わせや他のプログラムを通じて幼少期の本当の私が感じていた「恐怖、悲しみ、怒り」の感情、その下の心の深底に根付いてしまった「私は捨てられる。いらない子」という信念が、この時期には、もう、根付いていたのです。
幼少期に健全ではない〈生きる術〉を身に付けてしまうという事が、その後の私の人生へと大きな影響を与えていくのです。
今は、「○○ちゃん」という、くまちゃんのぬいぐるみを幼少期の私だと思って、毎日添い寝したり、赤ちゃんの様にトントンしたり…自分がしてもらいたかった事を今の私がやってあげています。
すると、大人の私も幼少期の私も、とても安心し、癒れていくのです。
(続く)
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